Flyfishing History  熱中篇 

1987年の5月僕と前チンは初めて渓流魚を釣った。その日から僕ら二人は(たまにもう一人)鬼のようにそこらじゅうの渓流を飛び回り、北区でフライショップを開店させたY君の店で(今はもう無い)キャスティング、タイイングを学びフライ中心に生活が回り始めました。
あるとき飛騨萩原町の国道沿いにある喫茶店のマスターが、フライをやっているという情報を仕入れ、早速そこの喫茶店で「僕ら毎週名古屋からきますからチケット買います」と3人分のコーヒーチケットを購入し、驚いているマスターと仲良くなり、川の情報を沢山聞いて、それから馬瀬川周辺、益田川の支流は片っ端から竿を出しました。その他によく訪れた川は小八賀川、小鳥川、庄川などです。そして釣れない時は必ず初めて釣ったA谷に行くのです。そこに行けば必ず岩魚が釣れました。A谷は僕らにとって保険のような川になりました。
しかしこれだけ釣りに行っても大きいサイズの魚はなかなか釣れません、そんな時仲間のY君が「たまには夏スキーに行きたい」と言い出し僕らは日帰りで立山の夏スキーに行くことになったのです、これが釣りをさらに熱中させる要因となりました。
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この立山日帰り夏スキーがその後の地獄の富山熱中時代の幕開けでした。

立山の夏スキーは3人で運転を交代しながら訪れました。そしてその途中にある常願寺川に僕らは釘づけになったのです。「タラ、今度富山で釣りしようぜー、この広い川だれも釣りしてないぞ」「そーだなー、スキーでこれたから釣りでも来れるよなー」そんな会話などがあり僕らは今度は3人で富山に日帰り釣行に臨みました、
しかし一番最初の川は常願寺ではなく早月川にしました、僕の独断で地図の等高線を読み「絶対この川はイイよ!川もでかいし川原も広そうだし、ここしかないよ」僕は地図を見ただけですが何となくこの川に無性に惹かれ前チンを説得しました。
予想どおり早月川は川幅が広く大きな石がゴロゴロしていて想像以上の規模でした。そしてなんと、魚はどこからでも出てきたのです、25センチクラスの岩魚、ヤマメが沢山釣れたのです。
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早月川の大堰堤 初めてヤマメを釣りました。  初出のY君 それほどFFにはまらなかったですが、富山は運転者3人以上いるため必ず付き合ってくれました。なぜかお揃いのカモフラシャツ。竹製のビクがオシャレ。

前チンはとうとう尺岩魚を釣りました。僕は2週間後の釣行で尺ヤマメを釣ることが出来ました。そしてここから数年間、富山熱中時代が続いたのです。早月川はその後次第に釣れなくなりましたが、片貝川、布施川などさらに北上し日帰りの限界まで挑戦し続けたのです。
モーグルスキーは1990年、僕が29歳の頃、草レースで大怪我をして引退しました。残りの全員もその翌年には限界を感じ皆やめてしまいました。

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草レースで大転倒した時の写真が偶然あります、この3秒後に大怪我をしました。モーグルなんてオリンピックで見ているとかっこいいですが、素人がやるもんじゃありません。下手したら死にます!

しかし冬の間暇になった前チンは今度はゴルフに熱中し始めたのです。実は僕は高校時代ゴルフ部に所属していて毎週コースを回っていたのである程度の腕は有りましたが前チンは鬼のような練習で、あっという間に僕に追いついてきました。今度はゴルフとFFの毎日です。そんな生活がまた3年ほど続いたのですが、さすがに僕の親は不安になってきます。僕の仕事は父親が経営している建築屋で「早く結婚して仕事に専念しろ」と催促され自分でも「このまま年中、山に篭っていてはヤバイ」と思い始めていました。

33歳で僕は名東区にあった行きつけのバーで知り合った娘と運よく結婚しました。しかし釣りもアウトドアもあまり理解してもらえず、次第に僕だけ休みの日に釣りに行くのが心苦しくなってきました。子供もできなかったためなおさらです。

結婚自体はそれ以外は不満もなく釣りも2カ月に一度くらいの割合で行けたのですが、もう富山まで行く気力は湧いてきません。前チンもわかってくれてせいぜい高山周辺までになりました。

そんな生活もわずか4年で崩壊してしまいました。1998年の夏、ある事がきっかけになり僕の人生は変わってしまったのです。

そのうち また 続く かも?
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by naru-kato | 2012-07-25 00:10 | FlyFishing 2012 | Comments(0)